鎮魂の日

1月17日がまたやってきた。

24年前。当時私は大学生。
大阪のコンビニでアルバイトをしていた。

強い縦揺れにまず名古屋方面の大地震を疑った。
時が経つにつれ事の重大さが明らかになっていった。
母方の親戚はみな神戸在住であり不安が増した。

2日後、物資を届けに甲子園駅から43号線を歩いた。
西へ向かうにつれ災害を実感することとなった。
阪神高速倒壊現場からは北上し2号線を西に向かった。
歩きながら逆方向に避難する人々の群れを見、
パニック映画の一場面の中に放り込まれたような気がしていた。

現実ではあるが実感がない。
心が事実に追い付かない感じがした。

歩みを進めるにつれ
見慣れた街が変わり果てた姿になっているのを目の当たりにした。
以前叔母が住んでいた灘南の家は倒壊していた。
それを僕はただ呆然と見つめて立ちすくむしかなかった。
余震は続いていた。

今、生徒・職員の安全を確保する立場になった。
災害時の対応については常に意識している。
今すぐにでもこの地であの日見た光景が再現されるかも、
そう思いながら日頃から心構えと備えは怠らないようにしている。
この日を忘れず伝えること、そして教訓にする事は義務だと思っている。

昨年、岐阜大学防災減災センターの村岡先生のレクチャーを受けた。

大切なのは、何をしたら死ぬ確率が上がり、
何をしたら下がるのか。

自宅で家具の下敷きで動けなることの意味。
本物の防災とは何か。
災いを防ぐことである。

交通事故に遭わないための知識に、
車のエンジンの仕組の知識はいらない。
ところが地震の防災となると
プレートだのマントルだのを語りだす。

死んだりケガをしないためにどうしたらよいか。
そこにいちばん意識を向けるべき。

学校教育の現状を含め、
あらためて多くのことを気づかされた。

地震の予知や根拠のないデマを気にすることは
何と無駄なことか。
周期説も否定された。発生確率など無意味だ。

いまこの瞬間にも地震は起こりうる。
死なない場所に住み、
死なない部屋で暮らし、
死なない行動を取る。

こんな話も、
よく「冷静に行動を」と言われるが、
冷静に間違った行動をして死ぬなら、
うろたえて泣き叫んでも的確な行動で
生き残るほうが良い。

そのとおりだと思う。
すぐにでも環境を再確認しよう。
家具の転倒防止にもコツがあるとのこと。

家具動かしたいけど人手が、というなら
喜んで手伝う。

防げることで人が死んだりケガしたりするのは
誰であろうとイヤだ。