おくることば
年が明けたら一気に年度末になだれ込んでしまいますね。
卒業式もあっという間にやってきます。
卒業式で毎回スピーチしています(そりゃそうやろ)
事前にキチっと作り込んで感動の…
というやり方は自分には合わないようです。
数ヶ月前から卒業生ひとりひとりの顔を
想い浮かべながら伝えたい言葉を考え、
ある程度形にしたらそれを一旦壊し、忘れます。
その状態で本番に臨み、目の前にいる卒業生の
顔を見ながら浮かんできた言葉を伝えます。
これは、ある話芸の達人のやり方のマネです。
この方が事前に決めたことを覚えて話すより、
イキイキと伝えたいことが出てくることに
気付きました。合ってるんですね。
昨年度の卒業式、
生徒との個人的なことも話しましたが、
自分が大切にしていることを話しました。
それは、
「あなた自身として判断し、行動して欲しい」
ということです。
これから大学や専門学校に所属し
やがて企業などで働くことでしょう。
その中で忘れてはいけないのは
「人間性を捨ててはならない」
ということだと思います。
組織の論理を優先し、
人が本来大切にすべき人道や倫理を
ないがしろにしてしまう。
人が倒れ命の危機である状況で
あんなアナウンスができる相撲の団体。
いじめはなかったと事実の隠蔽を図る
教育委員会。
地位を守るため公文書を改竄する官僚。
派遣で来た労働者を機械の部品のように
扱うクライアント社員。
その他役所で、店で、職場で、
木で鼻を括ったような対応したり、
人を人として扱わないような
人の心をどこかに置いて来てしまった人、
もしくは持ち合わせていない人に
出くわしてしまうことがあります。
どこ向いて仕事しているんですか。
神様にでもなったつもりですか。
って思います。
人の命より大切しなきゃいけないルールなんてありません。
命を削りながら行かなきゃならない
学校や会社なんてありません。
人間性を捨ててまで守らなくちゃいけない
組織や地位にどれほどの意味があるのでしょう。
人として扱われないと、人は傷つき、
場合によっては別の誰かを傷つける
ことがあります。
地位や立場なんて役割にすぎません。
だから教員が生徒を人として尊重するのは
大前提なんです。
親だってある程度の年齢になった子どもに
人として向き合うことが必要だと思います。
人間性をないがしろにする人が
失うものは大きいです。
しかし、それに気付いた時には
往々にして手遅れだったりします。
どの生徒もいままでの卒業生が
そうであるように、悩み、もがき苦しんだ末
自分で選択してここに来た人たちです。
周りに流され支持されたことをただこなす、
変に媚びたり空気を読んだりする、
というような高校生ではありませんでした。
だからそのままでいて欲しいと願います。
経験を重ねることで、妙な打算や保身を
身につけたりせず、
誰に対しても自分の判断で対応し、
行動を選択して欲しいと願います。
そして誰のせいにもせず、
自分の人生を主体的に生きて欲しいと願います。
その上で、失敗したり弱音吐いたり逃げ出したり
試行錯誤すればいいじゃない、って思います。
あ、これも伝えました。
「調子のいい時は俺たちのことなんか忘れてろ、
だけど弱ったとき、もし必要ならばいつだって
ここにおいで。金以外のことなら力になるよ」
って(笑)
貸せる金はホンマにないけど、
貸せる知恵ならナンボでも。
それも私たちの役割だと思っています。

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