甘いものの差し入れは太る

2017年9月1日

ここ最近、暑さも和らいで秋の匂いが感じられるようになりましたね。
割と入れ替わり立ち替わり卒業生たちが遊びに来てくれる今日この頃です。

卒業生、私の感覚では彼らのしんどい時に出会い、
それを乗り越える道のりを伴走した戦友のような存在です。
様々なことを彼らを通じて教わりました。
お互い気兼なく何でも話せる間柄になっているひとが多いです。

彼氏を見せに来るひと、
新社会人の悩みを相談に来るひと、
進学先の様子を教えてくれるひと…

あるひとは「生きていてもしょうがない」と思っていた、
またあるひとは「大人なんか信用しない」と拗ねていた、
またあるひとは「どうせ私なんかダメダメだから」と後ろ向きになっていた。

今の状況、なんか感慨深いです。
前向きな悩みだったりするし。
若者の三、四年は大人のそれとは違います。

在学中、非行に走り散々叱ったひとは、社会に出て
「仕事してると山本さんに怒られてたアレコレが答え合わせみたいに出てくるよ」
なんて言っています。

在学中も卒業後も、長い人生を見据え、
それぞれのペースと方法で社会と関わっていけるように、
という視点で彼らと接して来ました。
卒業したら教員の役割は終わり、ではありません。
自立を促しつつも
固有のペースを考慮しながら関わっていくことも重要だと思っています。

学校という閉鎖空間では、
意味のないルールに固執したり、
この場が良ければという姿勢や、
大人の都合で理不尽なことを強いるの当たり前
という状態に陥りがちです。
それは生徒にとっては害悪です。

そこをうまく折り合いをつけて学校生活を送る事が出来る生徒ならまだしも、
そうでないひともいます。
どうしても不器用な生き方を選ぶしかないひとがいます。
私自身が不器用な生き方を選んできたということもありますが、
そんな若者が大好きだし、その不器用さをとことん肯定したいんです。

ひとりひとりをじっくり丁寧に見つめ、寄り添っていく。
これこそが愛すべき不器用さんたちへの誠意だと思っています。
元々持っている力を信じて寄り添う。これに尽きます。

それが出来るのは少人数・個別のシステムがある場所だけです。
わたしが岐阜開成学院を立ち上げたのはその実現のためなんです。

これからも笑顔で会いに来てくれる卒業生が増えるよう
真摯に若者と向き合います。