岐阜開成学院について

個別対応教育の学び場、岐阜開成学院の特徴についてご紹介します。

校訓(ミッション)

We are united in our differences

これが岐阜開成学院の校訓です。意味はちがいを越えてつながろうです。
年齢も育った環境も前にいた学校も進路も目的も、国籍や考え方だって違う多様な人たちがゆるやかに繋がることができる場所、それが岐阜開成学院です。

世の中に「みんな」や「同じ種類のひと」なんていません。それぞれ違う考え持ったひとりの人間です。同じと思い込んだ人たちがお互いの顔色をうかがいながら群れることで出来るのは、仲間でも絆でもありません。

岐阜開成学院ではそれぞれが互いに違いを認め合いながら、自ら考え行動する人になることを目標としています。自律した個人がゆるやかに、しなやかにつながりながら新しい刺激や価値観を生み出していく。それこそが「ちがいを越えてつながる」ことの意味だと考えています。

教育の目的

岐阜開成学院は、学びを「生きるチカラに欠かせないツール」ととらえ、学ぶための場所・指導・情報を提供します。

学びを必要とする若者を中心としたさまざまな人に寄り添い、個別に多様かつ最適な学習方法と固定観念にとらわれない進路選択を対話をベースにともに考え、サポートします。

いま、世は急速に新しい時代に突入しています。
情報技術は生活に関わるシステムを変え、そして新型コロナウイルスが私達を取り巻く環境をさらに大きく変えてしまいました。

「社会や人生における模範解答のない問いを考え続けねばならない時代」、そして違いを認め合う事が必要な「多様性の時代」が到来したのです。
こんな時代を生き抜くには、自己との対話、他者との対話が必要です。そして違いを尊重しつつ問題に向き合い、合意を得ることも必要です。

変化することは不幸なことばかりなのでしょうか、答えは否です。
この急激な変化の時代こそ、大人の古い価値観から開放された若者が輝く時代なのです。

岐阜開成学院は、安心できる環境のもと若者が自己や他者との対話を通じて試行錯誤し、それぞれの興味関心をベースとした学びの力を育む場です。
そして自分なりの方法で社会と関わり幸せに生きることを目指し、若者たちが力を蓄える場所です。

岐阜開成学院が大切にしているもの

岐阜開成学院が大切にしているものはきめ細かい対応が必要なものばかりです。一斉集団で運営される学びの場では実現不可能なものであり、少人数・個別対応を徹底する岐阜開成学院ならでは、という特色となっています。

対話からはじまる心の安定と成長

自己理解・他者理解(あるいは理解を肯定と言い換えることもできますが)

それはどちらも自己や他者との対話なしでは得られるものではありません。
単なる会話とは違い、心の成長をも促す対話を行うためには、じっくり時間と回数を重ねて信頼関係を築くことが必要です。
岐阜開成学院では全日制高校・通信制高校・サポート校では実現不可能なゆっくり・じっくりと個別対応できる時間をつくることで対話の質を高めていきます。

岐阜開成学院では、生徒と職員・生徒と生徒…それぞれが人と人として向き合えるようすべてのシステムを組み立てています。その実現に不可欠なのが人間味あふれる対話です。

たとえば少人数制
ひとりの職員が多くの生徒を担当していたら、じっくり対話することなど不可能です。

たとえば時間の柔軟さ
思う依存分学んだあとでもじっくり話すチャンスを逃しません。

そして個別学習と指導でも。
対話のある豊かな時間を単なる教科学習で終わらせません。

国語を通して世の中の成り立ちや社会問題、あるいは生きるために大切なヒントなどを、英語を通して海外の文化や歴史を、それぞれ個人の興味や必要性に応じて、担当職員ならではの人間味あふれる対話を通して知性と教養を育みます。

岐阜開成学院での人間関係は、表面的・事務的なものではなく、自然な心のつながりをじっくり育てる本質を求めるものです。対話による人と人としての交流が心を安定させ、成長させる力となります。

人間味あふれる対話は岐阜開成学院の存在意義そのものだと言えるのです。

オキシトシン的承認が自己肯定感をつくる

ヒトの健全な成長には、対話と他者からの承認(受け入れられる経験)が不可欠なのは前述したとおりです。承認は脳内物質の観点から2つに分けることができます。
これが「ドーパミン的承認」「オキシトシン的承認」です。(表をご参照ください)

学校の場合、承認する者が教員、承認されるものが生徒です。

ドーパミン的承認は結果や成果に対する承認、オキシトシン的承認は取り組み方や存在そのものに対する承認です。
テストの点数など目標の達成度合いだけで評価するのがドーパミン的承認で、この承認を受けていると短期的には効果を上げる場合がありますが長続きせず、報酬を与えられたり褒められないと行動できない人間になってしまいがちです。
これらが歪んだ点取り主義やインスタ映えなどの承認欲求のベースになっています。

殆どの学校では、テストがそうであるように100点満点の減点法で評価されます。テスト以外でも減点法の評価が支配しているのが学校の現状です。減点法とはミスを許さないという思いを関わる全ての人に植え付けます。ミスをしない者が優れており、ミスが多いものは劣っている。権力者の意向に沿うものは優遇され、そうでないものは排除される。あらゆるものに用意された模範解答に生徒が沿うかどうかを評価することが学校の主な役割になっています。

その結果はどうでしょう。ミスを出さないために試行錯誤を避け、無難のものしか生み出さない。
チャンスが回ってきても矢面に立つのを恐れ多数派の影に隠れることに甘んじる。バレなければ多少悪いことをしても構わないと卑怯な行為に手を染める。いいねの数を求めて倫理観より目立つ愚行を選択してしまう。また、他人のアラを探し不寛容な態度に陥る・・・などなど。
このようなメンタリティでは、とても新しい価値は生み出せないし社会は息苦しくなるばかりです。

一方、オキシトシン的承認は、過程や取り組み方というそのひとの「人間性」や「存在そのもの」を認めることになるので効果が持続し、併用してもその効果が弱くなることがありません。
自己肯定感の欠如は子どもから老人まで現代日本の大きな問題となっています。自己肯定感が低いひとがドーパミン的承認を得ようと頑張っても長続きはしないし、絶え間なく報酬を求めるゾンビのような状態に陥ってしまいます。挙げ句心を壊してしまうことさえあります。
他者が自分のことを「生きていてもいい存在」として認めてくれる経験は、自分の存在を受け入れる自己肯定感を形成する基盤となるのです。

そして自己肯定感はチャレンジの原動力です。挑戦なくして成功はありません。できないことを数えて叱るのではなく、まずはできることをどう伸ばすか・どう増やすか。
失敗は恥ではなく成長の過程で必要不可欠な栄養とも言えるもの。ダメでもまた挑戦すればいい。恐怖や脅しで支配して萎縮させることなど百害あって一利なしです。学校とは本来トライアンドエラーの場所であるはずです。失敗が許されない場所など教育の場ではありません。

岐阜開成学院は加点法をベースとした興味関心の度合いを評価の代わりとしています。
「いい点数取ったね」ではなく「面白いね」「興味深いね」「よくやり抜いたね」が褒め言葉です。
もちろん時には叱咤激励も必要になります。しかし、それは関係性が出来上がってからのみ通用すると思っています。まずはオキシトシン的承認で良好な関係性を構築することを目指します。

これからの社会は拡張・拡大ばかり追い求める時代が終わり、質を求める時代に移り変わっています。この時代をよりよく生き抜くには、答えのない問いに向き合い、思考の質を高めることが必要です。
岐阜開成学院はオキシトシン承認を指導のベースとして、自ら思考し選択・行動し、答えのない社会を試行錯誤を恐れず進む「チャレンジングな若者」を育てることが大きな使命であると思っています。

ことばのチカラが思考をつくる

若者が社会において不器用でも正直に生きるためには、社会人としての基本的な能力が一定以上高いことが大切だと思います。
とりわけ国語力(文章力・読解力・語彙力)をベースとしたことばのチカラが重要だと思っています。

どこでも「コミュニケーション能力が大切だ」「読み書きは大切だ」と言われます。でも教えられるのは流暢な人のマネ、うまくやる表面的なテクニックばかりです。大人は小手先で上手いことやるテクニックばかり教えようとします。コミュニケーションとはディベートで相手を打ち負かすことだという誤った認識を持つ者さえいます。そのような意識ではことばのチカラは育ちません。身につくのは言葉で他人の心を傷つけるテクニックだけです。

大切なのは借り物の言葉や小手先のテクニックではなく、自分の心からの言葉を持ちアウトプットできること。「うまく話すのではなく、ほんとうのことを話すひと」になってほしいのです。
時間をかけて自分を見つめ、教養を高め、対話を通して世の中を見るものさし=世界観を創り上げていく。それは思考力を高めるということでもあります。

たとえばセンター試験(共通テスト)の現代文。過去問を単なる解答テクニックの練習だけに使うのはあまりにもったいない。そこには人が生きる上で大切にすべきこと、獲得すべき視点や認識がこれでもかと溢れています。大学の先生方からの受験生へのメッセージなのです。

若者にことばのチカラを。テクニックでなく本心を伝えるマインドを。
岐阜開成学院は代表の山本による国語科の教科指導をはじめさまざまなツールを駆使し、ことばのチカラを大切に育み、自由に使いこなすようになるための練習場所で有り続けます。

学習の方法

職員のご紹介

中高生の年代にとって、家族以外の大人に愛される経験、とことん話す経験は滅多にありません。多くの通信制高校・サポート校では生徒数が多く手が回らないことや職員の勤務事情、何よりこのようなことが大切であるという意識を持つ職員も少なく、手を付けない・付けられない部分なのです。

生徒本人が今どんな心の状態で、本当は何を求めているのかを無視したり、自分の居場所としてホッと出来るのかも分からないまま、いきなり「大学入れるよ、志望校はどこ?」と聞かれたり、予め用意された「受験スケジュール」に組み込まれることを強要されても、深い考えから得られた意向ではなく漠然としたものや誰かから聞いた借り物の価値観、打算的な進路しか思いつかないままでは、モチベーションの問題で学力もさることながら人間的成長や心の豊かさなど到底得られないでしょう。自己や他者との対話を経験せず、大人に言われるまま漫然と勉強していても、本当の問題解決には決して至らないと思います。学力はある程度上がったとしても、これではせっかく進学しても意味がありません。なぜなら就職時に、あるいは就職後多くの人が人生の壁にぶつかり、自分との対話を迫られます。大人の敷いたレールに漫然と従ってきてそのときにうろたえるのか、高校時代に自己を見つめ本質的な選択が出来るのか、そこには大きな差が出来ることは言うまでもありません。最近では大学生の就職に親が積極的に関わることを推奨する教育関係者がいますが論外だと思います。

わたしたち職員同士も常に自己を見つめ対話の時間を欠かさないようにしています。生徒がいても本気で社会問題について議論することも。本音の付き合いで互いにリスペクトしつつ家族のような関係性で働いています。だからこそ自宅の居間で安心して勉強しているようなリラックスした雰囲気になるのだと思っています。上記したような基本的な方針は共有しつつも、それぞれの専門分野・得意分野を使って生徒の成長に寄り添います。世界をくまなく旅した経験やバックパッカーとして現地の人と深い交流した経験からグローバルな視点を、音楽・ハンドクラフト・ITなどアートやエンタメ、テクノロジーからの視点を、全員が通常の大学卒業だけでなく社会人大学生としても学んだ経験からアカデミズムの視点を、そして一般企業など豊富な社会人経験からの社会の視点を、この多様な視点を重大切にすることも岐阜開成学院の魅力となっています。そして「好きだった先生がある日急にいなくなる」というような悲しい通信制・サポート校あるあるとも無縁です。
若者はセンシティブであればあるほど大人の関係性に敏感です。大人同士の冷たい関係や薄っぺらな言動などお見通しです。だからこそわたしたち職員も日々努力を惜しまず、繕わずありのままで人と人として生徒に向き合います。

わたしたち岐阜開成学院の職員は、他では得られない深い対話で卒業後も生徒の心を豊かにし、「他人の大人に愛された記憶」が今後の心の支えになるような対応を心がけます。


岐阜開成学院のようなオルタナティブな学びの場-通信制高校やサポート校において、誰にでもピッタリな場所など存在しません。どこで・だれが・どんなふうに・なにを…その場所を構成する様々な要素を生徒本人がしっかり吟味し、自分の次の場所を決めて欲しいのです。
「あー、いろいろあったけどここを選んでよかったなぁ」と心から思って卒業できる場所を見つけて欲しいと心から願っています。岐阜開成学院があなたにとっての居場所になるならとても嬉しいです。
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